北欧家具がデンマークで流行ったのには理由があった!その秘密を解説

    北欧家具が小国デンマークにおいて一定の期間に流行ったのは偶然ではなく、さまざまな要因があります。

    この記事では、国民性や社会環境、歴史的背景など、さまざまな観点から北欧家具がデンマークでヒットした理由を解説します。

    デンマークってどんな国?

    Denmarkの国旗
    Photo by Markus Winkler on Unsplash

    デンマークの国民性や社会の仕組みを知ることは、北欧家具デザインの歴史を知るうえで重要です。

    そもそもデンマークはどんな国なのか、いろいろな視点から見ていきましょう。

    デザインの本質を知るデンマークの国民

    デンマークの国民は「デザイン」の本質を知っています。

    日本で「デザイン」という言葉を聞くとモノの形や色、大きさといった見た目をイメージする場合が多いので、新鮮ですね。

    デンマークでは暮らしや福祉、生き方など幅広い意味で捉え、日常に取り入れる国民性があります。

    この考え方はデンマーク人ならではの価値観「ヒュッゲ」にもつながっていると考えられます。

    デンマーク人ならでは協働の意識

    デンマーク人ならではの思想に「協働の意識」があります。

    国民一人一人が社会をつくるメンバーの一員だと認識しているのです。

    この考え方はデンマークの家具デザインにも反映されています。

    家具デザイナーたちは社会の一員として家具を生みだし、より快適な暮らしを実現しようと努力してきました。

    福利厚生もデザインされている

    デンマークでは国民が豊かな人生を送れるよう、福利厚生もデザインされています。

    たとえば医療費・出産費・教育費が無料であることや、高齢者・障がい者サービスの充実などです。

    こういった最高レベルのサービスを受ける代わりに、国民は高い税金を払っています。

    社会全体が上手く回るよう、暮らしの多くがデザインされているのです。

    長く厳しいデンマークの冬

    デンマークの冬
    Photo by Max Adulyanukosol on Unsplash

    緯度が高く極地に近いデンマーク。

    冬が長く厳しいため、一年の大半を家のなかで過ごします。

    寒い季節はイベントなども少なく「いかに室内での時間を充実させるか」に、自然と意識が向きます。

    デンマークの気候も、家具や照明といったインテリアデザインが発展した理由の一つなのです。

    名作家具の誕生につながった歴史的背景

    デンマークで数々の名作家具が生まれたのには、歴史的背景も大きく関係しています。

    この章では、北欧家具が広まったきっかけとなる出来事を解説します。

    コーア・クリントがデンマークモダン家具界を先導

    コーア・クリント

    デンマークの家具デザインを語るうえで欠かせないのが「コーア・クリント」の存在です。

    彼はデザインだけでなく、デンマーク王立芸術アカデミーの講師として、後進の育成にも勤しみました。

    クリントが教育者として指導し始めた頃、ドイツの美術学校「バウハウス」を中心としたモダニズムの風潮がヨーロッパに広がっていました。

    デンマークでは時代の流れに、そのまま影響されるのではなく、伝統的なクラフトマンシップを保ちながらデザインを開放するという、独自の進化を果たします。

    そんなデンマークならではのモダニズムを家具デザインに取り入れたのがクリントでした。

    この思想を「リ・デザイン」と呼びます。

    クリントからデザイン方法論を受け継いだ弟子や美術学校のおかげで、同時期に多くの有名デザイナーや建築家が現れたのです。

    デンマークならではのユニークな家具職人育成システム

    デンマークには「キャビネットメーカーズギルド」という家具職人組合があり、富裕層に向けた家具の販売や、品質管理、若い職人の教育をおこなっていました。

    家具職人を育成する環境が整っていたため、家具づくりに必要な知識をスムーズに学べました。

    親方が後継者を育てる「マイスター制度」は実践的な技術を、家具職人組合は工房を経営するためのノウハウの指導を担当。

    このバランスの良い仕組みにより、優秀な家具職人が誕生しました。

    数々の名作を生みだしたキャビネットメーカーズギルド展

    北欧家具デザインが盛んになったきっかけの一つに「キャビネットメーカーズギルド展」があります。

    キャビネットメーカーズギルド展は、これまで受け継がれてきた家具職人たちの高い技術を、消費者にアピールするための展覧会です。

    開催された当初は、職人の大半が現代的な家具作りに後ろめたさを感じており、モダンとはかけ離れたデザインの家具が多く並んでいました。

    しかし時代の流れを察知した「A.J.イヴァーセン」や「ヨハネス・ハンセン」たちによって、これまで接点がなかった家具職人や建築家・デザイナーとのコラボレーションがスタート。

    この挑戦を後押ししたのが、1933年から始まった「デザインコンペティション制度」でした。

    キャビネットメーカーズギルド展は若手デザイナーの登竜門として発展。

    家具デザイナーと家具職人の名コンビの誕生にもつながり、デンマーク家具デザインは、さらなる進化を遂げたのです。

    FDBモブラーにより一般家庭に上質な家具が浸透

    ボーエ・モーエンセン

    北欧家具を一般の家庭に浸透させたのは「FDBモブラー」でした。

    FDBモブラーは、1942年に設立された生活協同組合である「FDB」のオリジナル家具を展開するプロジェクトです。

    開発責任者にはデンマークを代表するデザイナー「ボーエ・モーエンセン」が就任。

    デザイン性が高く機能的な家具を、工場で量産できるよう取り組みました。

    その結果、一般市民も購入しやすいリーズナブルかつ上質な製品が誕生。

    デンマークモダン家具は、幅広い人の暮らしに行きわたりました。

    デンマーク製品を世界に発信したデンパルマネンテ

    デンマークの製品が世界に広まったのは「デンパルマネンテ」の力が大きいでしょう。

    デンパルマネンテとは、上質なデンマークの日用品を集めた常設展示場のこと。

    1931年に銀器職人およびデザイナーである「カイ・ボイスン」が立ち上げました。

    1920年代に国外から入ってきた日用品の影響で、デンマーク製品の売れ行きが落ちたのが理由です。

    ボイスンは幅広い人脈と持ち前の行動力を駆使し、組織運営員会を立ち上げました。

    そして1931年にコペンハーゲン中央駅近くのヴェスタポートビルにデンパルマネンテをオープン。

    コペンハーゲン初となる鉄骨造の建物だったこともあり、世間の注目を集めました。

    戦争の影響により運営が厳しい時期もありましたが、1945年に再オープンを果たします。

    その後の積極的な海外展開により、デンマークの製品は世界へと広まりました。

    いろいろな要因が合わさって北欧家具の今がある

    デンマーク生まれの北欧家具が世界中でヒットしたのは、単なる偶然ではありません。

    デンマークならではの国民性や環境、歴史的な背景など、さまざまな要因が関係しています。

    また有名デザイナー・家具職人たちの努力も、北欧家具が流行した理由の一つでしょう。